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2013年1月〜4月へつづく
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2012年12月1日(土)
 
師走

 今日から12月、あぁ〜早いな、
一年なんて実に早く過ぎるもんだ、
気持ちは年を取っていないように思うのだが、
体は着実に年取った、ズボンを穿こうと片足立ちしたらヨロケタ、
ケンケンが出来なくなった、しゃがむことが辛くなった、
膝が痛く階段の上り下りが辛くなった、実感!
還暦、、、、、61才と6か月、今日のつぶやき、、、、、
 写真は横浜山下公園 

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2012年11月2日(金)
 
還暦とは

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%84%E6%9A%A6
1951年昭和26年生まれの小生にとっては
今年で61才になる、還暦と呼ばれる年になって
思う事は気持ちは年を取らないということだ。
 親の還暦祝いをしてきたが、自分には子供が
 いないので、還暦の祝いは無かった。

 還暦は暦の世界では60年で元に戻るということ
 こうおつへいていぼきこうしんじんき、と
 ねうしとらうたつみうまひつじさるとりいぬい
 の組み合わせで古来より続いている、10と12の
組み合わせ、60年で元に戻る。

 所で、母の認知だが、米寿という言葉に反応した
脳に刷り込まれた言葉である米寿、88才
 今幾つですか?の質問には答えが帰ってこない
米寿ですよ、というと88才と答えた
新しい事柄は脳に記憶されない認知症
 昔に記憶されたことは出てくる、
 認知症の不思議を垣間見た、今日このごろ
画像は新しいヱビス、 

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2012年10月1日(月)
 
認知の母、最近

 最近は食事の後に居眠りが多くなった、
 寝起きの時間も相変わらず遅い、
 起こしてもぼんやりしている、
 夜も眠りが浅いようだ、
 目が悪いのでテレビもあまり見なくなった、
 音楽番組には興味を示している。 

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2012年9月1日(土)
 
最近の母の具合に思うこと

 認知症認定から1年5か月、アリセプトを服用しているお蔭だろうか、
認知症が悪化せず小康状態を続けている、
誕生日は言えるのに今日が何月何日かが判らない、
話して聞かせても覚えていない、歳を聞いてもいつも80幾つ、
8月生まれで米寿になったよというと喜んだ、少し時間が経つと、
幾つになったのかなぁ〜と・・・・・ん、
またかよぉ〜今さっき言いましたよ、米寿ですよ、
88かぁ〜と返事した、毎日の繰り返し、
認知になったのは”80幾つ”からなんだろうな、苦笑 
認知星人と付き合うには忍耐が必要、
同じことを言われて同じことを返事する忍耐、
忍耐と感じなくらればもっと楽に見守りが出来るだろうに
・・・・・精進して参ります。

 写真は昨日8月31日に撮影したブルームーン 

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2012年8月5日(日)
 
祝長寿

 母が今月8月で88才に、市から祝い金が出た、
 母は、ありがたい!を連発している、ご先祖様に
感謝と、母は仏壇に手を合わせていた。
 記念に写真を写しておこう。
 市では100才にも長寿祝いを出すそうで
長生きしようね、と、言うと、母は
 わしゃ、100まで生きるという。
 長生きしようね、転ばずにね。
 一日一生、今日も元気で生きましょう! 

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2012年7月29日(日)
 
母の生い立ちなど    注;〇〇や□□や▽▽そして☆☆は苗字

 更新が空いてしまったが、母の事について聞いていたことなどを記載しておこうと思う、
母の生まれは新潟県新津市と聞いていた(間違っているかもしれないが)
母の父親は□□政一と言っていた、母の母は○○ハルという、以後祖父祖母と書く、
祖母は○○家の男子が早死にしたため○○の跡取りとなり祖父を婿とした、
母が小学生(当時の呼び方は不明)まで祖父の□□を名乗っていたという、
弟が二人生まれる、このころには母は祖父の□□姓から祖母の○○姓になった。
女学校時代は日本が戦争に突入し、祖父は満州に行っていたという、
ある日、戦死の噂を聞き落胆していたら、夜遅くに祖父が帰ってきた、
祖母は腰を抜かしたという、どうやら同姓同名の方が戦死したのだという。
戦中から戦後については母は多くを語らない。▽▽と結婚し僕が生まれた、
▽▽僕の父死亡で母と僕は祖父母の家に戻る、しばらくして☆☆と再婚、
僕は▽▽から一時祖父母の○○の戸籍へ、そして☆☆の養子になり苗字が変わった。
苗字はふせておこう。養父の転勤で新潟から横浜へ移転、内職して工場へ勤め、
横浜市内に家を建て引っ越し、工場勤務を始める、養父が死んでからは仕事を辞めた、
僕は秦野に家を買い母は僕と暮らし始めた、数年前から異変に気づき年のせいにしては、
物忘れが激しく変だと想い市役所に相談しかかり付け医師を決めて診療、
いろいろな検査を経て介護保険の手続きが進み認知症の認定となった、
いつもボケている訳ではない、子供のころの話は繰り返し同じことを言えるし、
食事も出来る、だだ新しい記憶が残らない、だから同じことを聞いてくる、
同じことを繰り返す。これが認知症の人と一緒に暮らすことの大変な事、
今言ったじゃないかと言いたくなる、同じ行動をするとつい言ってしまう。
もうすぐ母は88才になる。一日一生、今日も元気で生きましょう! 

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2012年7月3日(火)
 
寒川神社神門干支ねぶた

 前に少し書いたが寒川神社の神門にねぶたの飾りがある、
12月の中ごろに飾る準備をし、2月の節分まで飾られる、
元旦から見ることが出来る、2002年から撮影を始めた、
今年で11回になる、写真はホームページに掲載している、
一年の健康を感謝し参拝を続けて行きたいものだ。
電車でいこう初詣

寒川神社神門干支ねぶた

写真は2012年元旦、辰年 

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