←画像1、 延命地蔵尊です、 鶴巻温泉駅下車南口5分程のところにあり、 石の地蔵は高さ3.7mで長寿祈願と厄落とし、 250年前に江戸の豪商が米寿(88歳)記念に 先祖供養として建てたと言われています 8月23日には近隣47軒の 講中で縁日を開催しています。 (案内板・由来から) |
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画像2、→ 延命地蔵の右横の道を下っていくと 踏み切り注意の道路標識がありました、 汽車の絵が書かれていて思わず写真に収めました いつまでこの状態であるのかは 分りませんが貴重な一枚です。 |
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←画像3、極楽寺 踏み切りを渡り右に行きすぐ左の道を 入り急坂を上り下ると極楽寺に出ました、 1607年に開かれた、1648年 家光から朱印を受ける、秦野市重要文化財で 十一面観音像はヒノキ寄木造りで平安後期作 安産・子育ての信仰が厚い |
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画像4、→ 道しるべです、 やや傾いていますが読み取れますよ、 左は極楽寺・右は石座神社 そして向こうは延命地蔵です。 延命地蔵〜極楽寺への道は数本あります、 余談ですが昔の石で出来た道標は凄いですね、 経年変化は少ないし重いから簡単に移動 できないし現代においても見習う所が大ですね。 もし、次回この道標を作り直すならば 関係者の皆様、石の道しるべをお願いしま〜す。 |
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←画像5、 通学路を示す道路標識ですね、 最近は横断歩道で見かける青い三角の道路標識を 良く見かけますがこのタイプの標識は 学校の通学路でしか見ることが出来ませんね。 向こうに見えているのは中学校の校舎で 校門前の道を行くと東名高速を渡る上ノ窪橋です。 |
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画像6、→ 東名高速を渡る上ノ窪橋を渡り 側道を横断して石座神社(せきざじんじゃ)へ着きました 日本武尊(やまとたけるのみこと)が 東方征伐のおり腰をかけたと言われる 石が御神体として祭られています。 家内安全・交通安全・病気平癒・商売繁昌・ 厄災消除・学業成就、参拝作法は二拝二拍手一拝 |
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←画像7、 石座神社に参拝し農道を進み 蛇久保橋(じゃくぼばし)を渡りました、 小さな橋ですが名前の由来は古そうです。 |
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画像8、→ 蛇久保橋を渡ったあと道しるべが無く 二又の道は右の急坂を昇り行きました、 団地の中に出てからは 道行く人に数回聞き、 菅原神社へ着くことが出来ました、 この巨木は「タブノキ」とありました。 |
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←画像9、 タブノキはくすのき科の巨木で 保存樹木に指定されています、 大きいですね。この下に菅原神社はありました。 |
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画像10、→ 菅原神社です、御祭神は菅原道真公です、 正義・誠・学問・書道の守護とあり、 お天神さまとして親しまれています 東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ (案内板・菅原神社由緒から) |
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←画像11、 菅原神社の横から境内に入った形になり 参拝後参道の急な石段を降りて行きました、 そして車道に出たところで この新しい道しるべに出会いました。 左は自興院方面、右は東海大学前駅歩15分とあり、 石段の方は今来た菅原神社入口と書いてあります。 |
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画像12、→ やれやれこれで自興院への道はこちらですね、 安心しましたよ、暫く行くと道は急に上り坂になりました、 坂の途中に石の道標があり、 正面には秦野町とあり裏には大正4年と読める、 左は南矢名・右は谷戸 田中 蛇久保と彫ってありました |
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←画像13、 石の道標がある坂道を上ると二又の道に出ました、 狭いけれど右の昇り坂を行くことにしました、 正解ですこちらの道で良かったわけです、 案内がないので少々不安でしたが 自興院の入口に到着しました。 |
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画像14、→ 自興院本堂です、曹洞宗で本尊は釈迦如来坐像で 文殊菩薩と普賢菩薩を脇侍として祀られているそうです おおよそ500年ぐらい前の室町時代に開山され、 現在の本堂は1741年に建立されたと 案内板には書いてありました。 |
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←画像15、 自興院の境内には石で出来た一休さんのような 三頭身の可愛い小坊主さんが箒を持っていました 掃けば散り掃えばまたも塵つもる人の心も庭の落ち葉も |
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画像16、→ 自興院の由来・案内板です。 画像をクリックすると別ウインドで 大きいサイズで表示します。 昭和60年秦野市観光協会 |